「先生、こんにちは!」
4歳の智子ちゃんは、母親に連れられて教室に入ってきた。ハキハキとした挨拶といい、脱いだ後の靴の揃え方といい、躾のいきとどいた、どちらかというとおとなしそうなお嬢さん。桐林学園の研修(遊び)は、所長の松下先生が行う完全マンツーマン制。希望があれば両親は見学できる。
大きなテーブルを間に挟んで松下先生の向かいの席にきちんと座った智子ちゃんは、松下先生の前に置いてある白いA3サイズの箱をじっと見つめている。蓋がしてあるので中は見えないが、「考える指遊び」の教材が入っている。
「今日はこの遊びをやろう」
松下先生は箱を手にした。智子ちゃんの顔つきがサッと変わった。松下先生は、箱を智子ちゃんのほうに動かし、智子ちゃんは手を伸ばした。瞬間、松下先生は箱をグイッと手元に引き戻した。
いきなり始まったのは、何と箱の取り合いだった! 智子ちゃんは身を乗り出し、両手を使って箱を取ろうとする。松下先生は、たくみに左右に箱をサッサッと動かす。ついに智子ちゃんは、机によじ乗って、箱を手に入れ、満面の笑みを浮かべた。先ほどまでのおとなしそうなお嬢さんとは別人のようだ。
●今日の教材は「楽しいサイコロ遊び」
智子ちゃんは、上手にハサミやノリを使って2個のサイコロを組み立てた。余計な所にハミ出すことなくノリを使っていることも驚いたが、感心させられたのはハサミ使い。4歳の子どもが大人用のハサミを器用に使いこなす。大人用のハサミのほうが集中して丁寧に扱い、かえって危なくないそうだ。残りの動物と楽器の絵も線にそって丸く切り取り、カードを作った。
サイコロ遊びのルールはこう。
サイコロには、通常の目のかわりに音符が印刷されている。音符の数によって動物や楽器は決まっている(例えば音符の数が1つなら「太鼓」)。サイコロを振って、出た音符の数を数える。数にあった楽器のカードを探す。見つけたら、その楽器の真似をする‥‥というルール。松下先生と智子ちゃんは交互にサイコロを振った。
この遊びの効用を松下先生は次のように話してくれた。
●サイコロの目の数を数えること
●数字を動物や楽器に転換すること
●動物や楽器の名前やそれらの擬音語を知ること
●動物や楽器に興味を持ちそれらの模倣を創造的にすること
●指定されたところに正確にカードを置くこと
●「出発」「到着」の概念を知り、矢印にそって順次カードを置くこと
●ルール通り順番を守って遊ぶこと
智子ちゃんは、初めこそ小さな声で楽器や動物の鳴き真似をしていたが、途中からは松下先生に張り合って、びっくりするような大きな声を出すようになった。「ニャン、ニャン、ニャオ〜ン」などと真似も上手になってきた。音符の数え方も徐々にスムーズになり、途中からは「1」が出ると、即座に「太鼓!」と叫んだ。わずかな時間の間に、サイコロの数字が、どの動物や楽器の絵に転換するかを暗記してしまったようだ
。
教室に通いはじめて1年で、どの子も知能指数が17.7%も伸びるそうだ。指先を使えば脳は刺激を受け活性化する──というのが、「考える指遊び」の企画制作者である松下先生の持論という。
●教えない、せかさない、テストしない、これがコツです
──智子ちゃんの集中力には驚かされました。コツがあるのですか。
松下 一緒に遊べばいいんですよ(笑)。しかし、子どもと一緒に遊ぶことは、意外に難しいものです。「考える指遊び」は、全国の幼稚園でも採用されている教材ですが、私の講習を受けた先生たちも、なかなか上手に遊べないそうです。その原因は「教える」気持ちが出てしまうからです。
教えようとするから、できなければと叱る、量をこなそうとせかす、出来不出来が気になってテストすることになるのです。目に見える結果(覚えたとか書けたとか)が気になり、こちらもイライラしてくる。その結果、子ども本来の「やる気」や好奇心がしぼんでしまうんです。教えない、叱らない、せかさない、テストしない、目に見える結果を気にしない──これが幼児教育の基本です。
──この指導方法はどの子にも当てはまりますか。
松下 子どもは十人十色ですから、同じやり方が誰にでも合うというわけではありません。ただ、多くの子に共通する効果的なやり方はあります。例えば、なぜ、最初に箱の取り合いをしたのか、不思議に思ったのではないでしょうか。
子どもというのは、簡単に手に入りやすいものより、入りにくいものに興味をもちます。こちらが隠そうとすれば見たがる。じらすほど、欲しがります。だから、智子ちゃんのように、今日はちょっと集中力に欠けていると思ったら、いつもとは違うことで何か刺激を与えることが必要です。だから、すんなり箱を渡さなかったのです。いつも箱の取り合いをしているわけではありません(笑)。
箱にフタがついていることもポイントです。中が見えないと「どんな教材だろう?」と好奇心がかきたてられるのです。箱の中に何が入っているかはわかっていても、フタがしてあるだけで、子どもには特別な感じがするのです。何だろう、中にどんなものが入っているんだろう、早く見たい。そして、箱を手に入れるために、手を伸ばしたり机に乗ったり工夫し始める。もう、ここから「考える遊び」が始まっています。
●「〜ちゃんには出来ないかもね」と、反発心を利用する
──遊びのルールを教えるときに、「1回だけやるからよ〜く見ていてね」とおっしゃっていましたが、注意力を高めるためですか。
松下 ええ。この「1回だけ」という言葉が効くんですよ(笑)。見逃さないよう一生懸命集中します。子どもが気分的に乗らないようなときは、「これは難しいかな。できるかな?」とさりげなくつぶやくのも効果があります。子どもは基本的に天の邪鬼ですから、「出来ないかもね」と言えば「出来るよ」と反発して来るものです。「簡単だよ!」「できるよ!」と食いついてくれば、もうこっちのものです。
──サイコロの数に合うカードが見つけられないときは、どうしたらいいのですか?
松下 「気づかせる」ようにします。さりげなく正解のカードを触わったり、「羽があったかなあ?」と言ったりします。すると、「このカードの中で羽のあるものは何だっけ」と自分で考え、「蜂だ!」と気づきます。すかさず「今のは難しかったのに、すごいね!よく考えたね!」と褒める。これで自信がつき、考えることの楽しさが自然に身についていきます。
●「違う」とは言わない
──間違えたときには、どうしたらいいのですか?
松下 例えば、ネコなのに蜂のカードをとったとします。それでも、「違う」と言ってはいけません。いきなり否定してしまうと、それだけで「やる気」がなくなり、考えるのをやめてしまうからです。まずは「なぜ、そう思うの?」と尋ねる。なかには、自分の考えを話しているうちに、自分で間違いに気がつく子もいます。そうでないときは、「それも良いね」と肯定し、さらに「他にもいいのがあるかもよ」と考えさせるようにします。
●豊かな刺激で「やる気」が続く
──授業中、先生も智子ちゃんも驚くほど大きな声を出していました。なぜですか?
松下 そもそも子どもは、大きな声を出すのが大好きだからです。遊びは楽しくやらないと(笑)。第2に、正確な発音が身につくこと。第3に、大声は脳への良い刺激になること。深呼吸をすると頭がすっきりしますね。大きな声を出すことも同じです。数字や絵カードを見ながら考える作業が続いたら、大きな声を出して、気分転換を図る。
子どもに緊張感がなくなってきたようなときは、お母さんが突然バンッと机を叩くのもいい刺激になります。脅してはいけませんよ(笑)。また、体に触れるのも刺激になります。セミのときには、鼻をつまんで「み〜ん、み〜ん」と言ってみてください。蜂の時は「ぶーん、チクッ」と、子どもの腕などに刺す真似をしてみる。逆に、子どもが親を刺す真似をしたら、「恐い!」とおおげさに恐がります。
──引っ込み思案で、声が小さい子もいますが。
松下 私はこうします。「聞こえないよ!これくらいので聞かせてよ、ぶーぶー、ぶひぶひぶひーっ!!」(と、びっくりするくらいの大きい声)。子どもを笑わせるつもりで、大きな声で、しかもそっくりに真似するのがコツです。そのうち子どもも大きな声を出すようになるし、夢中になって積極的になります。
●大人(お母さん)もたまには間違えよう
──途中で松下先生がサイコロを下に落としたり、数を絵に転換するのを間違えましたが‥‥。
松下 わざとサイコロを落とすと、順番が1回ずれ、子どもが先にあがります。大人が負けることで、子どもは優越感を持って「やる気」が出るものです。遊び初めに、わざと違うカードを置くなど、明らかな間違いをするのもたまにはいいかもしれません。子どもは、大人の間違いをおもしろがり、それだけで遊びに惹きつけられます。「違うよ!」と、教えてあげようとします。すかさず「どこが、どのように、間違えているのか」をどんどん説明させます。
考える機会がたっぷりと作れ、自分の考えを頭で整理し、それを人に伝える力が伸びます。「よく気がついたね、よく考えたね」とよく褒めると、「次の間違えも教えてあげよう」と、「やる気」がムクムク出てくるんですよ。
●3つのポイントで「後片づけ」も楽しい
──智子ちゃんは片づけまで楽しそうでした。後片づけは、どうしたら習慣づくのですか?
松下 3つあります。1つは、「片づけたい」と言わせること。親や先生が歌を歌いながら楽しそうに片づけを始めます。そうすると子どもはやりたがりますが、「やらせて」と言い出すまでじらします。そして、子どもが片づけ始めたら、「どっちが早いかな?それっ」と2人で競争する。そして片づけが終わったら、「きれいになったね」「早く終わったね」「気持ちいいね」など具体的に褒めます。
2つ目は、飽きる前に遊びをやめること。飽きると片づけが嫌になる。決まった時間内だけで遊び、楽しいうちに「楽しかったね。またやろうね」と遊びをやめる。すると片づけも遊びの延長になって一気にできるものです。
3つ目は、家の中が整理整頓されていること。ハサミとノリはこの引き出し、教材は箱に入れてタンスの上など、いつも同じところに、同じ仲間のものをまとめてしまっておきます。「上から3番目の右側の引き出しに入っているハサミをとってくれる?」と頼めるようにするわけです。準備やお手伝いも簡単になります。
整理整頓は良いことだらけです。「冷蔵庫の野菜室に入っているトマトをとってくれる?」というお手伝いで、自然に「トマトは野菜の仲間」と分類する力もつきます。また、左右・上下・前後、〜番目という「位置関係」の言葉が身につくことは言うまでもありません。
●「考える指遊び」で、「慌てず、焦らず、侮らず」
──なぜ「指遊び」なのですか?
松下 見る・聞く・話すだけでなく、積極的に指を動かすことで、さらに脳に多方面から刺激を与えるためです。ボケの予防に編み物など指先を動かすと効果があるとよく言われていますね。指を動かすと脳の働きが良くなることは、すでに実証されています。
「考える指遊び」は、先ほどのサイコロのようにハサミやノリを使って教材を作ったり、遊び全般を通し、カードを○印に正確に置いたりなどふんだんに指を使うよう工夫されています。
現在、考える指遊びの教材は100種類を超えていますが、なぜそんなに必要なのかとよく質問をいただきます。教材の種類が多いのは、偏りなく子どもの知能を伸ばすためです。知能は知識をいれる器です。ですから、まず器が大きくなる手助けが必要です。手助けとは、適切な刺激を計画的・系統的にあたえること。「考える指遊び」は、その適切な刺激なのです。
私の指導者としての信念は、1に教材研究、2に教材研究、3と4がなくて、5に教材研究に徹することです。そして、創意工夫した教材を用い、「慌てず、焦らず、侮らず」の「3ず主義」で楽しい研修(遊び)を展開しています。
――ありがとうございました。