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いい願書の書き方10の秘訣

 

*「いい願書の書き方10の秘訣」は、別掲「願書・面接資料の書き方(52回)」からの抜粋です。一部、文章に手を加えております。



その1 願書の文案づくりは早いほどいい理由

 

多くの学校の入学願書には「志望理由」を記入する欄があります。願書だけでなく、「面接資料」や「調査表」「アンケート」の提出を求めている学校もあります。

願書に添付する面接資料には、「本校をどのように知りましたか」「本校のどこを評価しましたか」「お子さんの子育てについてお書きください」といった項目があります。「幼稚園・保育園での生活状況」「お稽古ごと」「本人の長所短所」などの記入を求めているケースもあります。「アンケート」を提出しなければならない学校もあります。

簡単なようですが、いざ、記入する段になると、ほとんどのご両親が頭を抱えることになります。たとえば、志望理由一つとっても、どう書いていいかわからないのです。「公立は荒れているから」「仲良しの○○ちゃんも通っているから」「有名小学校だから」「家に近いから」「中学受験に有利だから」「エスカレータ式に大学まで進学できるから」等々。しかし、それをストレートに書くわけにはいきません。そこがむずかしいというかややこしいところです。

「御校の建学の精神に深く共感した」「在校生の礼儀正しさに感銘した」「緑が多くて教育環境のすばらしさに惹かれた」など、まあ、「建前」というか、こういう堅苦しいことを書くというのは意外とむずかしいものです。ほとんどの人は志望校の学校案内やホームページからキーワードを引っ張って、いくつかの言葉をつなぎ合わせて志望理由をつくることになります。

幼児教室の先生からは、学校案内に書かれているようなことを書かないでください、何としてでも入学したいという熱意が感じられません、これでは滑り止め受験がミエミエです。真剣に学校研究をしてくださいなどと、きびしく指導されるかもしれません。

願書対策からスタートさせる最大のメリットは、「志望理由」や「家庭の教育方針」「わが子の長所短所」などに、たっぷりと時間をかけて文章を練ることができる点です。たとえば、「家庭の教育方針」を「思いやりのある子」とした場合、1年をかけて「思いやり」とは何かを教えることができます。「困っている子がいたら、どうしたのと声をかけてあげようね」と折にふれて話をしてあげれば、行動観察のときに、前の子を突き飛ばしたり睨み付けるようなことはないはずです。

志望校の教育方針が「自主性を重んじる」というのであれば、子供への過度の口出しは控えるようになります。躾や挨拶を重視する学校であれば、1年の期間をかければ何とかなると思いませんか? 受験を思い立ったら、できるだけ早めに志望校を絞り込み、願書対策をスタートさせてください。それが効率のいい受験対策にもつながるだけでなく、わが子にムダな努力をさせなくてすみます。

 
その2 志望校の教育方針との一致にこだわらない


「願書・面接資料の書き方講座」にお寄せいただく文案を拝見すると、「志望校の教育方針とわが家の教育方針の一致=志望理由」というパターンがけっこう多いのです。その典型的なサンプルが下記です。

(志望理由)
「新奇に走らず、旧習にとらわれず、教育の基礎としての人間の育成」という御校の教育理念に深く感銘いたしました。とくに校長先生のお話の中にも出てくる「自分の目で確かめ、自分の頭で考える自発的、創造的な学習態度を重んじ」という指導方針は、幼児期の学習は体験が大事というわが家の教育方針とも合致しており、ぜひとも御校で学ばせたく志願いたしました。

一読して、なんと空々しい志望理由と感じませんか? この志望理由は、ある学校のホームページを見ながら5分足らず(正確に計ったわけではありませんが、入力に必要な時間と同じです)でつくりました。カギかっこ内の文章は志望校のホームページからの引用です。面接官がみれば、ホームページのつまみ食いだとすぐわかります。

この志望理由のどこがいけないかというと、「幼児期の学習は体験が大事」というだけで、どんな考え方で子どもを育ててきたかがわかりません。それに「ぜひとも御校で学ばせたく」と書いてありますが、その熱意が読み手に伝わって来ません。

「志望校の教育方針の理解とわが家の教育方針との一致」という図式で志望理由を書くのはあまりお勧めできません。多くの保護者が、このパターンで志望理由を書いていますから、面接官には印象に残りにくいのです。それに、そもそも志願者が「志望校の教育方針を理解している」かどうかは面接官が判断することであって、志願者が「共感」「感銘」「感動した」と力説するものではないのです。

自分の学校の教育理念や指導方針に、あっさりと「共感した」と書かれてどんな心境なのか。そう簡単に「共感」されても複雑な心境だと思います。中には、建学の精神や教育方針を得々と「解説」してしまう人もいます。面接官である校長先生方は温厚な方ばかりですから、穏やかに「解説」を聞いていますが、内心、うんざりしていると思います。

学校が知りたいことは、2つです。1つは、どんな子か。どんな考え方や方針の下に子どもを育ててきたのか。もう1つは、どれくらい学校のことを理解した上で志願したのかです。両親の考え方や方針が志望校の教育方針に合っているかどうかは、些細な問題とはいいませんが、こちらから強調するようなことではありません。この点を間違えないようにしてください。

「志望校の教育方針の理解とわが家の教育方針との一致」という志望理由が多い理由は、要するに簡単に書けるからですが、この場合、「合格しても入学する気がない受験者」と誤解されるリスクがあります。志望校のことを深く研究したという心証が得られないためです。

願書の志望理由は安易に考えないでください。合否を左右するほど重要なポイントになるとおもってください。

 

 
その3 質問材料を盛り込んであるか

 

もし、「いい願書」の条件を1つあげるとしたら、志望理由や家庭の教育方針、子どもの長所短所などに質問材料が盛り込んであることです。さっと一読して、さて、この保護者には何を聞いたらいいかわからない‥‥という願書は「いい願書」とは言えません。以下は、ある願書(志望理由)からの抜粋です。

「私どもは、時の経過とともに蒸発してしまうような知識のつめこみだけはさせたくない、自分の頭で思考し、判断する力や未知なるものへの知りたいという欲求を大事にしたいと考えております。今、子どもは自然科学的な事柄に大変興味をもっており、親子で○○の博物館へ行ったり、簡単なキットを使った実験をしてみたりと体験的な教育を心がけております」

この志望理由を読んだ面接官が聞きたいことは、やはり「○○」の部分でしょう。「なぜ○○に興味をもちましたか」と質問されることが事前にわかっていれば、面接の一問一答を確実にリードできます。何を聞かれるかわからないという不安がまったくないだけでなく、自分に有利な方向に面接を誘導できます。ちなみに、この「○○」は、たまたま面接官も関心をもっていて、面接は「○○」の話題が中心になったようです。

わが子の長所短所欄に「円周率が言えます」と書いた保護者に対して、面接官は、「そんなことが自慢になると本当に考えていますか」と両親をたしなめたようです。読者が面接官であったら、たぶん、この面接官と同じことを言ったと思います。円周率が言えたぐらいですから、ペーパーの成績はよかったと思いますが、残念ながら、不合格でした。

志望理由欄に家系図を書いた保護者がいます。志望理由というのは、志望校の教育方針+家庭の教育方針の一致というパターンが大半ですから、事前に願書に目を通していた面接官は、創業350年、和菓子の老舗がなぜ跡取り息子を本校に入れたいのか、聞きたかったとおもいます。わが家の家系はこうだから、御校に志願したという図式にムリがなければいいアイデアです。

「1歳のときからスイミングスクールに通っていて、現在は小学校4年生レベル」と書いてあれば、やはり面接官の興味を引くでしょう。「2歳のときから茶道を教える祖母の下に週2回通わせました」とあれば、その子の立ち居振る舞いに関心が向くでしょう。

願書に質問材料が盛り込んであるかどうか、面接官の立場になって見直してみてください。ここは聞かれそうだと思ったら、その質問に対してどう答えるかを準備してください。その答えた内容に志望校の教育方針を結びつけることができたらベストです。志望校の教育方針と家庭の教育方針との一致点は、面接で補足すればいいのです。

 

 
その4 志望理由にはエピソードを盛り込む




願書の文案を幼児教室の先生に見せると、「抽象的な文言では相手に伝わりません。具体的なエピソードを入れてください」と指摘されます。わが子がどんな子かは、むろん、ご両親はよくわかっていますから、いちいちエピソードをまじえなくともいいと考えがちですが、願書の読み手はわかりません。なぜ具体的なエピソードを盛り込んだほうがいいかを説明します。

ABCの志望理由を読み比べてください。

A エピソードのない志望理由
娘には優しさや思いやりのある女性となり、物事を正しく判断できる考え方、価値観そして実行力を身につけ、将来は自分の能力のあった形で社会に貢献して欲しいと願っております。御校の○○の精神のもとに、素晴らしい環境と暖かい先生方に見守っていただく中で、社会に貢献していくことができるような品格ある人間に成長してほしいと願い、志願させていただきました。

B エピソードのある志望理由
奉仕や感謝の心を大切に育てて参りました。卵アレルギーを持つお友達が自宅に遊びに来た際に、卵を使用せずに作れるデザートを一生懸命考えたり、また自然災害などで困っている人々への献金のためにおやつを我慢して貯金をしております。御校でのキリスト教による人間形成を重んじる教育の中で、心豊かに良き人生を送るための基盤を培ってほしいと考え、志願致しました。

読み手の印象に残るかどうかという視点からみると、Bの志望理由のほうが説得力があります。

Aは、「優しさや思いやりのある女性」「物事を正しく判断できる考え方、価値観そして実行力を身につけ」「自分の能力のあった形で社会に貢献して欲しい」‥‥そのために「志願した」と志望理由は明確です。しかし、読み手の印象には残りにくいという弱点があります。むずかしいことが書いてあるわけではないにもかかわらず、なぜ、印象に残りにくいかというと、試験官はこのパターンの志望理由が書かれている願書を何百枚も読まなければならないのです。

その点、Bの志望理由は、ご両親がどんな考え方でお子さんを育ててきたのかが明確です。「卵アレルギー」「自然災害などで困っている人々への献金」というエピソードを加えることによって、「奉仕や感謝の心を大切に」というありふれたフレーズが、俄然、輝きを増して読み手の心に訴えて来ます。

エピソードを加えるということは、わかりやすいというだけでなく、「思いやり」「やさしさ」「感謝」「豊かな心」といった抽象的な言葉をピカピカに輝かせる効果があります。「思いやりのある子です」「やさしい子です」だけでは、読み手には真意が伝わりません。エピソードを添えるということの大切さがおわかりいただけると思います。

次は、Cの志望理由をご覧ください。

C エピソードのある志望理由
ある雨の朝、娘は「今日は神様が泣いているね。かなしいのかなあ。でも、たまには神様にも泣いてもらわないとお花さん達がかわいそうだからね」と困った表情で言いました。娘は、雨の冷たさも温かく感じさせる子に育ってくれたと思っています。御校の精神のもと、思いやりと感謝の心をさらに育み、そして社会に貢献していくことができるような、「白百合の花」のように凜とした品格ある女性に成長してほしいと願い、志願させていただきました。

「今日は神様が泣いているね‥‥」のフレーズもエピソードの一例です。ご両親がどんな考え方の下に、この子をどう育てたかが容易に推測できるエピソードです。「思いやり」「やさしさ」「感謝」「豊かな心」といった言葉を書き連ねなくとも、どんな子かは読み手にしっかりと伝わります。言葉や文字でストレートに訴えるよりも、読み手の想像力を刺激したほうが効果があることは言うまでもありません。エピソードを盛り込む大切さはおわかりいただけたでしょうか。

 

 
その5 簡単に「共感」「感銘」しないほうがいい


「志望理由」の中で使用頻度の高い言葉は「共感」と「感銘」でしょうか。

「学校説明会のときの校長先生のお話に感銘をうけました」
「御校の教育方針に共感しました」

等々のケースです。どうでしょうか。あなたが今書きかけている志望理由の中にこれらの言葉は入っていませんか?

むろん、「共感」と「感銘」という言葉を使ってはいけないということではありません。本当に「共感」「感銘」したのであればおおいに使ってもいいと思います。 しかし、校長先生や面接官はこういう受け止め方をしていることも知っておいてください。

「御校の崇高な建学の精神、国際化時代を先取りした教育方針に共感したとか、深く感銘を受けたといった志望理由を読むと、さて、どれほど本校のことを理解している上でそう書いているのか、疑問に思うケースもあります」

ある人気校の場合、ほとんどの願書に教育方針の「○○○○(4文字)」という言葉が盛り込まれているようです。「御校の○○○○に深く感銘しました」「○○○○は私どもの家庭の教育方針と同じです」等々ですが、当の校長によると、「この○○○○という教育方針の神髄は私どもが一生涯かけても理解できないほど崇高なものです」と言います。

「御校の『思いやりのある子を育てる』という教育方針に感銘を受けました」という志望理由を読んで、本校の教育方針をよく理解している、こういう熱心な保護者にぜひ来てほしいと思うかどうか。逆ですね。本気で入学する気があるのかと不信感をもつかもしれません。

そう簡単に共感とか感銘、感動といった大袈裟な言葉は使わないほうがいいかもしれません。親や親族の多くが志望校の卒業生とか、あるいは学校関係者の子弟というなら、学校のことをよくわかっているだろうから、「共感」「感銘」も素直に受け止められるけれど、ホームページを見た、学校案内を読んだ、授業を参観した、在校生の親から話を聞いたというくらいのことで、「共感」「感銘」は大袈裟すぎるということかもしれません。

「登下校中の御校の生徒を何度か拝見しました。列を乱すような生徒は1人もおらず、よくぞ、ここまでしっかりと教育されたと驚嘆しております。わが子も御校のご指導の下で‥‥」といわれても、読み手が苦笑するケースもあります。

たかだか小学生の子どもです。やんちゃ盛りです。「ふつうに育った子」が大半でしょう。大人の言うことを素直に聞く子どもばかりとはかぎりません。学校のいい面ばかりを見て、それを褒め称える保護者に対して、ある校長は面接の場で、「何も問題がないわけじゃありません。いじめもあるし、教師に反発する子もいます。私どもの教育方針についていけずに退学した児童もいます。いいことばかりではありませんよ」と諭したケースもあります。

学校側が「本校のことをよく理解した上で応募してほしい」という意味は、学校や教育方針の理解が中途半端というより、もっと基本的なことを知ってほしいというケースが多いようです。

「うちは小学校しかないのに、御校の一貫教育の下で‥‥といわれたら、どんなに子どもの成績がよくても合格させるわけにはいきません」
「入学後に、お弁当を毎日持たせなけりゃいけないなんて知らなかった」
「大学までエスカレータ式に進学できると思ったのに、小学校からの生え抜きの生徒の割合は3割以下とは知らなかった」
入学後に、こんなはずじゃなかったとクレームをつけてくる保護者が少なくないから、どんな学校かをよく調べて応募してほしいというのです。

「共感」「感銘」は多くの保護者が書いています。試験官にひと味の違いをもってもらうためには、建学の精神や教育方針を志望理由に持ち込まないと割り切ったほうがいいでしょう。そうすれば、ほかにどんなところがいいと思ったのかを見つけだしやすくなります。

 
 その6 「手垢のついた言葉」を使わない
 

誰でも思いつく言葉、使い古された言葉や言い回しはできるだけ避ける、これがいい文章を書くコツです。

願書のように、テーマもスペースも決まっている文書でも同じです。というより、願書だからこそ、ひと味の工夫がほしいところです。

たとえば、子どもの長所・短所は何かというテーマで書くとします。これは願書だけでなく、面接でも質問されることが多いテーマです。受験するからには、「書く」か「聞かれる」か、そのどちらかがあると思って事前に準備しておいたほうがいいでしょう。幼児教室の指導を受けていない人が書くと、こういう言葉がたくさん出てくると思いますが、いかがでしょうか。

「好奇心の強い子です」
「思いやりのある子です」
「我慢強い子です」
「明るい子です」
「協調性のある子です」
「リーダーシップのある子です」
「どんなことにも最後までやり遂げる子です」

こういう書き方をすると、幼児教室の先生方はけっこうですとは言いません。具体的に書いてくださいと指摘するはずです。というのも、「発想が豊かな子です」だけでは、どんなふうに発想が豊かなのか、読み手にイメージがわかないのです。

「発明好きな父親に似て、とても発想が豊かな子です」

これでも漠然としていますね。

「段ボールと新聞紙を組み合わせて動物や乗り物をつくらせると、1時間でも2時間でも熱中します。ときどき親がびっくりするようなユニークなものをつくることがあります」

これだと、だいぶ具体的になります。どんな子か、ぼんやりとでもイメージがわきます。「発想が豊か」とか「創造力がある」「集中力がある」という言葉を使わなくても、意味は通じます。

「手垢のついた言葉」を使わないで書く練習をしてみてください。そんなにむずかしいことではありません。

「創造力」という言葉を使わないで、いかに創造力のある子かを読み手に納得してもらうのですから、否応なしに具体的に説明することになります。

「思いやりがある子です」よりも、

「泣いているお友達がいれば、声をかけるなど、思いやりのある子です」

このほうがちょっとだけ具体的です。もう少し工夫してみましょう。

「仲間はずれになった子やみんなと一緒に遊べない子がいると、どうしたの? と声をかけたり、その子と一緒に遊ぼうとするなど、思いやりのある子です」

このほうがより具体的ですね。もっと書くスペースがあるなら、「祖母が風邪で寝込んだとき、祖母の枕元で絵本を何冊も読んであげていました」という一文を付け加えてもいいですね。こうなります。

「祖母が風邪で寝込んだとき、枕元で絵本を何冊も読んであげていました。また、幼稚園では、仲間はずれになった子やみんなと一緒に遊べない子がいると、どうしたの? と声をかけたり、その子と一緒に遊ぼうとするなど思いやりのある子です」

こういうさりげない一文を入れることで、読み手は、この子は思いやりがあるだけでなく、「家族を大切にする家庭で育った」というイメージをもちます。

ついでながら、「‥‥していました」という言い方は、ちょっと他人事のようですが、こういう言い回しをすることで、母親から言いつけられたのではなく、自発的に絵本を読んであげたのかなという印象を感じます。

また、上の文章の末尾に、「‥‥とクラスの先生にほめられたことがあります」と付け加えてもいいと思います。「祖母が風邪で寝込んだとき、枕元で絵本を何冊も読んであげていました。また、幼稚園では、仲間はずれになった子やみんなと一緒に遊べない子がいると、どうしたの? と声をかけたり、その子と一緒に遊ぼうとするなど思いやりのある子です、とクラスの先生にほめられたことがあります」

わが子の長所はストレートにほめるよりも、第三者の口を借りるのがコツです。

 
 その7「アレもコレも式」か「重点型」か
 

「願書・面接資料の書き方」講座でちょっと気になる傾向があります。いろいろなことを盛り込み過ぎるケースが多いのです。

たとえば、「わが家の教育方針」。就学前の子どもですから、「教育方針」などと大上段に構えるほど大袈裟なことではないと思います。「どんな考え方でお子さんを育てていますか?」という程度の意味です。

「まず、健康」
「ウソをつかない」
「早寝早起き」
「していいこといけないことのケジメを教える」
「名前を呼ばれたらハイと返事をする」
「親の言うことをきちんと聞く」
「ご飯は残さずに全部食べる」
「好き嫌いは言わせない」

といったことでいいのです。

みなさんの願書を拝見すると、けっこう肩に力が入ってしまうのか、抽象的な言葉で、しかもアレもコレもと詰め込みすぎる例が少なくないようです。以下は去年、講座に寄せられた「わが家の教育方針」の文案です(原文のままではなく、ちょっと脚色しています)。

(「わが家の教育方針」文例)

きちんと挨拶ができ、相手を思いやる心だけでなく常に感謝の気持ちをもち、自分のやったことに対して責任を持てる人間になってほしいと願っています。集団のなかではきちんとルールを守り、自分勝手な行動をとらない。 また、何事も自分の考え方で行動できるようにするため、3歳くらいから意識的に「見守る」という姿勢で育ててきました。

たぶん、文面通りの気持ちでお子さんを育ててきたと思いますが、ちょっと詰め込み過ぎです。抽象的過ぎて読み手の印象に残りません。ここをもっと具体的に聞いてみたいという興味がわかないかもしれません。

総花的記述よりも強調したい点をメインにしてまとめたほうがいいと思います。志望校が期待する子ども像に合わせた絞り込みも一つの方法です。

「自分で考え、自分で行動する」を指導方針にしている学校であれば、後半の「見守る」という部分を強調したほうがいいと思います。たとえば、こうです。

何事も自分の考え方で行動できるようにするため、3歳くらいから意識的に「見守る」という姿勢で育ててきました。外出の際に何を着るか、お手伝いは何ができるか、おやつは2つ用意しているけれどどちらがいいか、旅行先では何をして遊ぶかなど、まず娘の考えを聞き、できるだけ希望を聞き入れるようにしてきました。その結果、自分の意見や行動に責任をもつようになったこと、さらには子どもなりの状況判断力や創造力が身に付いたように思います。

アレもコレも式記述と重点型記述の違いは何かというと、いろいろな考え方はあると思いますが、どちらが面接のときに質問しやすいかという視点からの検討も必要です。

アレもコレも式の教育方針の場合、どれもこれも当たり前過ぎて、ここを聞いてみたいというものがないのです。

その点、重点型教育方針の場合、「寒い日に薄着で出かけたいと言ったらどうしますか?」「子どもでは無理なお手伝いをしたいと言ったらどうしますか?」など、聞いてみたいことはたくさんあります。

実は、ここがポイントです。面接官の質問を誘導できれば面接は成功したも同然です。「わが家の教育方針」に限らず、面接官がここを聞いてみたいと思うようなことを書く、これも願書・面接資料を書くときのコツです。

 
 その8「立派すぎる願書」は敬遠される
 

「願書の書き方講座」に送られてくる願書の中には、あまりにも立派すぎて、恐れ入りましたと脱帽したくなるほど上手に書いてくる人もいます。

添削の必要はありませんと返事を出しますが、中には、「立派すぎるのは逆効果です」と再検討をお願いするケースもあります。 子育てはうまくいっています、何も問題はありませんと言える親はめったにいないと思うからです。

校長先生や面接官の先生方も、たぶんご自分の子育てにはいろいろと苦労していると思います。中学生になったお子さんの登校拒否に頭を痛めている校長先生もいます。お孫さんが自分が校長を務める学校の小学校受験に失敗したケースもあります。経済的な事情で公立小に通わせている私立校の先生もいます。

教育者といっても、みなさん思い通りに子どもが育っているとは限らないのです。

「なかなか親の思い通りにはならない」「子育てはむずかしい」と思っているときに、「性格は明朗快活」「親の言うことは何でもよく聞く」「3歳からバレエ、スイミング、ピアノの塾に通い」「幼稚園ではいつもお友達の先頭にたって」「困っているお友達がいればどうしたのと声をかけ」「夕食後の後かたづけも・・」

というのでは、願書を全部読み終えないうちに、次の願書を手にとっているかもしれません。

公立中の教師をしている父親が面接で一言も答えられなかったというケースがあります。緊張したためです。

このとき、面接官は、「私だって、あなたと同じ立場になったら緊張して答えられないかもしれません。気にしないでください」と慰めてくれたそうです。

面接で答えられなかったことが減点されなかったのか、それとも誠実な人柄と評価してくれたのか、子どもの成績が抜群によかったのか、その辺はわかりませんが、この父親のお子さんは合格しました。

校長先生や面接官の先生方の多くは、志願者である保護者と同じ目線で願書と向き合っていると思いたいのです。あまりにも完璧な家庭教育というのは、やはり感心しません。たとえ5歳までは何も問題がなかったとしても、すべて「途中経過」です。

うまくいったかいかなかったかは子どもが何歳になっても結論が出るものではありません。子どもが何歳になろうとも、自分の子育ては間違っていたんじゃないかという不安がつきまとうものです。子育てとはそういうものです。

ここはひとつ、謙虚に、子育てというのはむずかしい、親の思い通りにはならない‥‥という気持ちを込めて、しかし、わが子はこう育ってほしいと思って、精一杯努力していますというニュアンスが出ると、読み手はそうだそうだと共感してくれます。

 
 その9「ほぼ完璧な志望理由」の実際例
 

以下は、昨年、立命館小学校を受験したお母さんが書いた「志望理由」です。ご本人の了解を得て、全文を紹介します。

この志望理由には、こう書かなければいけないという要素がすべて盛り込まれています。まず、ざっと一読ください。

(原文のまま)
私どもは、時の経過とともに蒸発してしまうような知識のつめこみだけはさせたくない、自分の頭で思考し、判断する力や未知なるものへの知りたいという欲求を大事にしたいと考えております。

今、子どもは自然科学的な事柄に大変興味をもっており、親子で○○の博物館へ行ったり、簡単なキットを使った実験をしてみたりと体験的な教育を心がけております。これを親子で心から楽しむことができることを嬉しく思っております。

第三回立命教育フォーラムの折に、○○先生が「目先の学歴に捉われず、どんな人間になって欲しいかをまず考えて欲しい」といわれたお話が大変心にのこりました。

本来の学ぶという姿勢、学ぶ楽しさを知り、そしてそれを原点として知識を獲得し、人生に根を張って生きて欲しいと私どもは考えております。これは立命館での教育でしか得られないのではないかと思っております。

そして中高がスーパーサイエンス指定校であるということも、子どものこれからの人生により多くの実りをもたらしていただけるのではないかと考えております。

また、これからの時代、学校、家庭、地域が一丸となって子どもを育てていくことがいっそう大切となってくるにちがいありません。親として、そうあって欲しいと切に願っております。

学校は学校、親は親という一方通行の関係ではなく、親にも積極 的に学校に関わってもらいたいという貴校の姿勢は、精一杯学校に協力したいと考える 私どもとしましても、これほど嬉しいことはありません。

新しい今までにない魅力的な学校で小学校生活を送らせてやりたいと考え、貴校を志願いたしました。


(添削担当者のコメント)
ほぼ完璧な志望理由です。その理由は以下のとおりです。

「知識のつめこみだけはさせたくない、自分の頭で思考し、判断する力や未知なるものへの知りたいという欲求を大事にしたい」と、最初にわが家の教育方針を明らかにしています。

一般的な志望理由の書き方というと、志望校の建学の精神や教育方針などに共感し‥‥わが家の教育方針と一致し‥‥だから志願したというパターンが多いのですが、この実例では、わが家の教育方針を最初に述べ、志望校との接点は後回しにしています。

ここがポイントです。もし、「第三回立命教育フォーラムの折に」という部分が冒頭にきていると、単に順序が入れ替わっているだけでたいした違いはなさそうですが、実は、読み手は「またか‥‥」という印象をもちます。

同じようなパターンの文章を立て続けに読むと、新鮮みは薄れてくるし、そのうち文字は目に入っても何が書いてあったか記憶に残らないようになります。

わが家の教育方針を冒頭にもってくるのは、子育てに対する書き手の自信をうかがわせます。

私どもはコレコレという考え方の下に子供を育ててきました。現在、このように育っております。わが子を通わせる学校としては御校が最適と考えましたので志願しました‥‥

むろん、書き手には、そんな偉ぶった気持ちはまったくなかったと思いますが、この願書を書いた母親が育てた子どもを落とした場合、学校の眼力が問われる、ちょっと大袈裟ですが、読み手に「軽いプレッシャー」を与える志望理由になっています。読み手がどんな印象をもつかも大事なポイントです。

次に、「子どもは自然科学的な事柄に大変興味をもっており」「親子で博物館へ行ったり、簡単なキットを使った実験をしてみたり」と、わが家の子育て方針を具体的に説明しています。ここの部分が「どんなことにも興味をもち」「観察力を養う」など、具体的に何をしているのかが曖昧になっていると説得力がありません。

わが家の教育方針に続いて、「第三回立命教育フォーラムの折に」以下で、志望校との接点を具体的に触れています。単に「○○先生の話」を引用するだけでなく、話のどの部分が心に残り、どう受け止めたかまで書き込んでいます。

ふつう、「○○先生のお話に共感し」だけで終わってしまうケースが多いのですが、このお母さんは、「○○先生の話」を「人生に根を張って生きて欲しい」というわが家の教育方針にさりげなく結びつけています。

それだけでなく、この親の思い・願いは「立命館での教育でしか得られない」とズバリ言い切っています。意識してそう書いたのかどうかは知りませんが、見事な構成であり表現力です。

そして、「学校は学校、親は親という一方通行の関係ではなく」と、私立校がもっとも大事にしている家庭からの協力に対して、「これほど嬉しいことはありません」という言葉で締めくくっています。

この実例のもう1つの良さは、試験官が質問しやすい志望理由になっていることです。「親子で○○の博物館へ行ったり」と書かれてありましたが、ここを読んだ試験官は「どうして○○に興味をもつましたか」と質問すると思います。

また、「新しい今までにない魅力的な学校」という箇所についても、新設校ですから、やはり聞きたいところでしょう。

なお、この願書の添削を依頼されたとき、文章に関してはあえて添削は避けました。文章的にはいろいろと手を加える余地はあったのですが、いい文章よりも、書き手の人柄が推測できるという良さを生かしました。文章云々は些細なことです。このお母さんが育てた子どもなら間違いないと思わせる文章です。これも「いい願書」の大きなポイントです。

 
 その10 父親が願書を書いたほうがいい理由
 

願書は母親が書くケースが多いようですが、父親が書くことをお勧めします。

その理由はいろいろあります。まず、本気で入学を希望していることを読み手(学校側)が期待するという点です。母親が書いたものでは本気度が違うという意味ではありません。「父親も本気」であることが推測できるのです。これは大きなポイントになります。

というのは、合格辞退者の続出という問題に各校とも頭を痛めているからです。極端な例では、補欠合格35名中34名が辞退というケースもあります。最近、幼稚舎を「蹴る」というケースが数件出ています。

理由は、東大を狙うのであれば、幼稚舎は第2志望というケースが多いためです。第一志望校が合格すれば、幼稚舎であろうと何のためらいもなく辞退します。各校とも合格辞退者数は公表していませんが「かなりの数」と見られています。

学校側にしてみれば、事前に入学の意思を確認したいと思うのは当然ですが、その一つの目安として、「父親が書いた願書」なら本気度がちょっとは違うはず‥‥と期待しているのです。

滑り止め受験や試験慣れのための受験であれば、願書は妻に丸投げしてしまうのではないか、あまり根拠のない話ですが、そういうことを言っていた校長もいました。

願書は父親が書いたほうがいいという第2の理由は、それが父親の面接対策になるからです。「志望理由をお聞かせください」とストレートに聞いてくる場合はいいのですが、「お子さんはどんな生き方をしてほしいとお考えですか」などと変化球が投げられてくることもあります。

妻が書いた志望理由を暗記しただけではとっさに対応できません。志望理由や家庭の教育方針などは、簡単なようですが、なかなかむずかしいのです。

「どんな子に育ってほしいか」「どんな生き方をしてほしいか」そのために、どう育ててきたか、育てようとしているか、そして、そのことが志望理由にどう結びつくのか、そこまで考えないと、「いい志望理由」は書けません。

ですから、かなり苦労しますが、その苦労がないと面接では臨機応変に答えられないのです。父親が書く願書は少数派ですから、読み手の印象に残るということも考えておく必要があります。

「記入者名」を書かせる願書もありますが、多くの場合、父親が書いたか母親が書いたかはわかりません。しかし、男親と女親のどちらが書いたかは、けっこうわかるものです。

この「願書・面接資料の書き方」講座でも、文案はメールで送られて来ますが、書かれている内容で父親が書いたか母親が書いたかはほぼ推測できます。

父親の視点と母親の視点は微妙に違うのです。母親の場合、幼児教室などでアドバイスされていることもあって、志望校のどんなところがよくて志願したのかに力点がおかれていますが、父親の場合、わが子の将来を考えた上での志望理由というケースが多いのです。

「海外勤務が長かったため、15年後のわが子に必要な資質は『言いたいことをはっきり言えること』だと前々から痛感しており、そのように育ててきました‥‥(中略)‥‥だから御校を志願しました」

この志望理由を読んで、本校の教育方針をどれくらい理解しているか不明と判断する試験官がいると思いますか? セオリー無視の志望理由のようですが、「御校の教育方針の○○○は、まさしくわが家の教育方針に合致しており」とか「学校説明会での校長先生のお話に感動し」といった志望理由と比べて、どちらが読み手の心を掴むか明らかです。 長期的な視点から志望理由を書くのは、父親のほうが多いのです。

男親は、わが子が将来どんな生き方をしてほしいかに力点を置き、女親は、眼前の合格を見据えているという違いが出ているのです。

これはどちらがいい悪いの問題ではなく、まさに男親と女親の視点の違いなのですが、父親が書いた願書のほうが本気で入学する気があるとみられていることも知っておいてください。