連載企画 願書・面接資料の書き方

第31回 フリーページです

●「立派すぎる願書」は敬遠される?



「願書の書き方講座」に送られてくる願書の中には、あまりにも立派すぎて、恐れ入りましたと脱帽したくなるほど上手に書いてくる人もいます。添削の必要はありませんと返事を出しますが、中には、「立派すぎるのは逆効果です」と再検討をお願いするケースもあります。

子育てはうまくいっています、何も問題はありませんと言える親はめったにいないと思うからです。校長先生や面接官の先生方も、たぶんご自分の子育てにはいろいろと苦労していると思います。中学生になったお子さんの登校拒否に頭を痛めている校長先生もいます。お孫さんが自分が校長を務める学校の小学校受験に失敗したケースもあります。経済的な事情で公立小に通わせている私立校の先生もいます。

教育者といっても、みなさん思い通りに子どもが育っているとは限らないのです。「なかなか親の思い通りにはならない」「子育てはむずかしい」と思っているときに、「性格は明朗快活」「親の言うことは何でもよく聞く」「3歳からバレエ、スイミング、ピアノの塾に通い」「幼稚園ではいつもお友達の先頭にたって」「困っているお友達がいればどうしたのと声をかけ」「夕食後の後かたづけも」‥‥というのでは、願書を全部読み終えないうちに、次の願書を手にとっているかもしれません。

公立中の教師をしている父親が面接で一言も答えられなかったというケースがあります。緊張したためです。このとき、面接官は、「私だって、あなたと同じ立場になったら緊張して答えられないかもしれません。気にしないでください」と慰めてくれたそうです。面接で答えられなかったことが減点されなかったのか、それとも誠実な人柄と評価してくれたのか、子どもの成績が抜群によかったのか、その辺はわかりませんが、この父親のお子さんは合格しました。

校長先生や面接官の先生方の多くは、志願者である保護者と同じ目線で願書と向き合っていると思いたいのです。あまりにも完璧な家庭教育というのは、やはり感心しません。たとえ5歳までは何も問題がなかったとしても、すべて「途中経過」です。うまくいったかいかなかったかは子どもが何歳になっても結論が出るものではありません。

子どもが何歳になろうとも、自分の子育ては間違っていたんじゃないかという不安がつきまとうものです。子育てとはそういうものです。ここはひとつ、謙虚に、子育てというのはむずかしい、親の思い通りにはならない‥‥という気持ちを込めて、しかし、わが子はこう育ってほしいと思って、精一杯努力していますというニュアンスが出ると、読み手はそうだそうだと共感してくれます。




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