「直前講座」のスタート早々、予定にない記事を書きました。小学校受験には関係なさそうですが、根っこの部分では父親のあり方と一脈通じていると思います。ご了承ください。
一つは、8月2日の亀田興毅の世界戦。判定を巡って後味の悪い試合だったようです。ボクシングには興味がないのでテレビ中継は見ていませんが、翌日のテレビニュースやスポーツ新聞などでは亀田の勝ちに疑問符を投げかけています。朝日、読売、毎日の一般紙までが取り上げているくらいですから、たぶん、誰が見ても亀田に有利な判定が行われたのでしょう。
この先、亀田選手に対する風当たりが強くなるのは容易に想像できます。興味を持ったのはトレーナーが父親であったことです。ある評論家が、もし、トレーナーである父親がチャンピオンベルトは返上させますと言っていたら、亀田人気は爆発したと思うとコメントしていました。同感です。
同感ですとは言ってみたものの、さて、自分が父親と同じ立場だったらベルト返上を申し出たかというと、できませんね、そんなことは。勝ちを拾ったことで息子と一緒に飛び上がって喜んでいたと思います。冷静なことを言えるのは他人だからです。
子育てでも、失敗と後悔を何度もくり返すうちに、このときはこうすべきだ、これはこれでいいのだと思えるようになるのかもしれません。父親業も場数を踏む必要があるということでしょうか。ただ、父親としての真価が問われる場面というのは何度もありません。わが子の小学校受験も最初で最後という人も多いと思います。父親として、わが子の小学校受験にどう対応するか、評論家ふうな言い方になりますが、お子さんの将来を考えて、そのときどきにベストと思える判断をするしかないようです。
奈良県母子3人焼死事件を引き起こした少年(16歳)の父親が息子に面会したときの様子が報じられていました。朝日新聞によると、このときのやりとりを書いたメモはこうだったようです。
「暴力を振るったパパを許してくれ」「原因をつくったパパも、罪を償う」「もうパパは勉強しろと言わない。パパは、死ぬまで、A(長男の名前)と一緒になって、罪を背負って生きていくつもり」「夏、山登りに連れて行って欲しかったんやろ。毎年、アユ釣りや山菜採りに行きたかったが、パパが許さなかったんや。パパが悪い、おまえの楽しみをすべて取り上げていたんや。ごめん」
記事を読んでいて何か釈然としないものが残ります。そうじゃないだろう‥‥あなたは考え違いをしているという気持ちが強いのです。父親が子どもに厳しく「勉強しろ」と言ったり、怠けていれば叱るのは当たり前です。殴ったりビンタを食らわせるのもフツーとはいいませんが、だから子どもがふてくされたり反抗することはあっても、家に火をつけるようなことはしません。
勉強しろ、いい学校に入れ、いい点数をとれ、こういう考え方の是非はともかくとして、わが子が世の中に巣立った後のことを考えれば、口やかましく小言をいうのは当たり前です。以前、卓球の世界チャンピオンになった人に取材したとき、「あまりの厳しさに父親を恨んだ」と言っていました。この卓球選手だけでなく、野球選手のイチローや女子レスリングの浜口選手が父親の厳しさに耐えられたのは何だったろうと思います。
事件を起こした息子に対して、父親が詫びなければならないことは、「厳しさ」でも「殴ったこと」でも「山登りに連れて行かなかったこと」でもないと思います。父親としてわが子にきちんと向き合っていなかったことではないか、そんな気がします。
実の母が離婚して家を出て、新しい母親がきた。2人の弟と妹ができた。むずかしい家庭環境を指摘する人もいますが、それが引き金になっていたとはとても考えられません。どんな環境の下でも父親の視線がしっかりと自分に注がれている限り、子どもはギリギリの一線を越えるようなことないのです。メモには「A(長男の名前)は父である私の愛情に非常に飢えている様子です」とも書かれていました。この少年は、父親に自分を見てほしいと訴えたかったのかもしれません。
お父さんは、いつでもどんなときでも僕(私)を見ていてくれる‥‥そう思えるような父と子の関係でありたいということでしょうか。私事になりますが、知人の心療内科の医師から「あなたの3人のお子さんがまともに育ったのは奇跡ですよ」と言われたことがあります。父親のあり方などというテーマを口にすることさえ気がひけるのですが、今回は自戒の念を込めて書きました。