『5歳からでも間に合う英才教育』より(抜粋)

早期教育なんて‥‥●最初の子は伸び伸びと育ったけれど

そんな教育観を持っていた私が、最初の子をどう育てたと思いますか?
私は22歳で学生結婚をして、子供を生みました。夫はほどなく大学を中退して中学校の教員になり(卒業していなくても免許さえとれば採用試験は受けられるのです)、私は大学を卒業後また進学しました。インターナショナルの歌を歌い、高橋和巳の本を抱えて歩き、『二十歳の原点』に涙した最後の世代ではないかと思います。

そんな自分たちの生き方にささやかなプライドを持っていましたので、子供も伸びやかに自由に育てたいと思っていました。もちろん早期教育なんて考えもしませんでしたが、自分たちの子供は「やるとき」が来たら自然に勉強するだろうと、これもまた何の裏づけもなく信じていました。

私も夫も本が好きですから、子供が寝ている間はそれぞれ本を読みふけりました。
「この子はしゃべらないけど、私たちの話していることはたいていわかっているんじゃないかしら」と思うことはありましたが、子供にはまだしゃべり出す前から本をよんでやろうなんてことは思いつきませんでした。

もう少し大きくなると、それこそ何百冊も本を読んでやりました。1日に20冊でも30冊でも読みましたが、ただ自分たちが本が好きだったからだけで、それにはあまり深い意味がありませんでした。『機関車やえもん』は空でいえるくらい繰り返し読みましたが、科学読物はたぶん数えるほどしか読んでいないと思います。そんなものが子供に分かるはずがないと思っていましたから。

自然の中を連れて歩きました。本物に触れさせることが大事なことで、むしろ知識としての教育をしないことが教育だとさえ思っていました。海や山や川に連れて行き、泥遊びをさせて、魚を触れさせて、花を見せて、牛の糞の匂いをかがせましたが、それらについて「教える」ということはあえてしませんでした。毎日庭で見ている花に「露草」や「雪ノ下」という名前があることを知らないまま大きくなっています。

文字も数も、自然に覚えただけしか知らないまま小学校に入学しました。左利きの手で、おぼつかない鏡文字を書き、50くらいまでの数唱ができるかできないくらいだったと思います。

といっても、そんなことは彼の生活には何の影響も与えません。彼は私たちの望み通り、自由に伸び伸びと大きくなりました。何よりうれしいのは、友達に不自由しなかったことです。爪の先ほどの競争心も欲もありましたが、心やさしい、いたずらっ子の小学校低学年を過ごしました。本人以外から伝わってくる失敗談や叱られた話もそれなりに微笑ましく聞いていました。そして彼をこのまま伸びやかに育ててくれる中学校はないかしら、と考えていました。

兄の中学受験の失敗●大きくなってからでは意欲は教えられない

東京近辺の公立中学校の現状については、多かれ少なかれ共通の認識をお持ちではないでしょうか。つまり、低学力と非行が正比例的に結びついている現状です。部活だ、生活指導だと、そういうことに追われて学ぶ楽しさを伝えるどころではないというのが先生たちの現状です。私もそれらを避けてより良い教育環境を望むなら、私立中学受験もやむを得ないと思い、兄の受験勉強を4年生から始めました。

さきほどもいいましたように、私たちの子供は「やるとき」が来たら必ずやるだろうという、何の裏づけもない自信がありました。ところが、やらせ始めたけれど、どうも何かが違うのです。それまで勉強らしい勉強をさせていなかったので、成績が悪いことは折り込み済みが、そういうこととは違うのです。「やるとき」が来たはずなのにいっこうに本人がその気にならないのです。中学受験は本人にその気がなければ、まわりはサポートしたくてもしようがありません。

具体的にお話しましょう。初めに受けた模試は、偏差値40以下でしたが、答案を見て私が愕然としたのは学力の以上の意欲のなさです。例えば四択や三択問題でさえ選んでいないのです。「だって、わからないから」の一言です。わかってもわからなくても当たったら儲けものだ、という気持ちが全然ないのです。20〜30字で要約する問題はてづかずです聞いてみると意味がわかっていないわけではないのですが、それを20字や30字でまとめるなんて「かったるくてできない」というのです。ちょっとややこしい計算問題も(応用問題ではないのですよ)「できるわけがない」と手をつけた跡さえないのです。

あれこれ原因を考えて、勉強を仕方がわからないのなら教えようと、塾の週1回の確認テストにあわせて、四谷大塚の予習シリーズを手伝い始めました。幸い算数の問題は私自身には解けないものはないので、いくらでも見てやれます。それどころか、私は算数がとくに好きでこんな(くだらないといわれる)受験勉強用の問題集でさえ楽しいと思ったくらいです。「四択はまず消去法で」というようなテクニックも教えました。1年4か月かかって偏差値を60くらいまで上げ、6クラスある塾のクラスも最下位から上から2番目のクラスになりました。

でも、そこで私は見切りをつけました。私の気力と体力の限界で、家族も消耗し切ってしまったのです。たしかに偏差値は上がったけれど、彼は「ノートを出しなさい」といわれれば、本当にノートだけで鉛筆1本出しません。「これ見ておきなさい」といわれると文字通り「見る」だけです。解き方や、読解指導以前のことにほとほと疲れ果てました。「欲のない子だから中高一貫教育で、できれば大学まで‥」と考えていましたが、本人は後で楽をしようなどという気持ちさえもないのでした。何か大事なことを伝えそびれて育ててしまったような気がして、途方に暮れてしまいました。

問題は受験勉強前●学習習慣のない子には何をやらせても難しい

いったい、何がいけなかったのか。ずっと考えましたが、一番大きな間違いは「やるときが来たらやる」という私の思い込みでした。10歳の彼は、10年間かかってできたのですから、ある日を境に突然別の彼になれるわけがないのです。これは、受験勉強を何年生から始めるか、というようなことではなく、受験勉強以前を大切にしてきたかどうかということです。

まず、教科ごとに敗因を探っていきました。算数では、計算力の不足がスピードの違いだけでなく自信のなさといや気を生みました。計算力をつけながら「鶴亀」などの特殊算や、割合や、数列などの新しいことを身につけていくのは無理な話です。少数、分数の四則計算ができるのが最低の条件かと思いました。まだ、図形や線分図をかくのをおっくうがるというのも、書いて考える習慣ができてないからだと痛感しました。

国語は、本をたくさん読ませているから安心していましたが、それだけではどうにもなりませんでした。おそらく、笑いあり涙ありの情緒的な本ばかりにどうしても偏ってしまい、説明文などはあえて与えなかったからだと思います。わかりにくい文があると、もう一度読み直すのではなく、そこは飛ばして読んでいくという回避ができあがっていて、これもなかなか修復が難しいと感じました。どんな文でもじっくり読めるようになっていないと、設問に答えるどころではないのです。

また、漢字は書けなくてもほとんど読めるようになっていないと、はじめて見た字を書くためには大きな負担だと思いました。そして、書くのを嫌がるというのは国語においては致命的でした。

理科や社会科については、ものの名前を知らない、意識的な経験が乏しいということが敗因でしょう。たくさんの名前を知っている子、その意味を知っている子はその断片的な知識を整理するだけですが、そうでない子はすべて丸覚えするしかありません。

例えば、「石川県」をしっている子がどこかで「これは漆器よ」と聞かされていて、もっと幼いときに木下順二の「木龍うるし」を読んでもらっていて、そのときに「うるし」の話も聞いていたとしましょう。そういう子はきっと他のこともその調子で結びついていくでしょうから「伝統工芸」の章を勉強するのはそう難しくないでしょう。でもこれがすべてはじめる知ることだとしたら、とても大変な話です。

もっとも、教科別の敗因より大きな敗因は、学習に対する姿勢、習慣ができていなかったということです。これに気がついたとき、「もう合格はしなくてもかまわないから、今からこれだけはなんとかしてやりたい」と思いましたが、実際にはどうにもしてやれませんでした。

親が面倒みることで、偏差値を少しは上げられますが、学習の習慣だけは大きくなってからではどうにもなりません。学習習慣のついている子、つまり受験勉強以前を大事に育てられた子には、絶対にかなわないと感じました。


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