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『数学の天才児ができた!』より(抜粋)
幼児期の子供を放っておくのは犯罪と同じ


●「特別なことはしなかった」は子供が立派に成長したときに言うセリフ

7年前のことから話をはじめようと思う。それは、私がまさに早教育にとり組みはじめた時期だった。

ある父親が我が家にやって来て、「そんな小さい子に文字を教えてどうなるのか。子供が意欲が出た時に自分でやるのが勉強というものだ。親が無理矢理教えるのは、百害あって一利なしだ」と、いうようなことを言った。

この本を手にとった読者の皆さんには、このような状況が充分に想像つくのではなかろうか。もちろん私は、早教育の必要性を口をすっぱくして彼に説明したのだが、子供の “意欲”を断乎として主張する彼には受け入れられなかった。

彼はこう言った。「オレは、息子を東大に入れるよ。でも、それは子供が意欲が出た時に的確にアドバイスしてやった上でのことだと思っているんだ。東大に入れないなら板前にするよ」もうそれ以上、口をはさむ余地はなかった。

実際の話、「うちの子は何もしていません。すんなり東大に入りましたが、特別なことは何も‥」という親はいる。そして、それがどんなにカッコイイが、充分私も知っているつもりだ。早教育にカリカリするのは、カッコイイことではない。

赤ん坊のころから文字カードを見せたり、数学のパズルをやらせたりするよりは、「子供は勝手に育つさ」と、うそぶいて、本当に子供がすくすくと育つほどカッコイイことはないと思う。

しかし、“特別なことは何もしなかった”とは何なのか、“普通にしていた”という“普通”の状態とは何なのかを、本当の普通の母親は知らなければならないと私は思う。

● 元気でやさしい子だったら、引き算ができなくてもいいのか

7年前の話にもどる。夏休みのことだった。彼には小学校1年生の男の子がいた。そこで偶然にも、私の目の前で彼と息子との間で、このような会話がかわされた。
「おとうさん、車の免許がいくつになったら取れるの?」「18歳だよ。あと何年だ?」
これまでは彼の表情はおだやかだった。
「ぼく、引き算できないもん」「そんなむずかしいのは、まだ習ってないよ」「指をつかってやってみろよ」「指が足りないもん」「おとうさんの指をかしてやるから、やってみろよ」「できないもん」

そこで、父親の意外にけわしい顔を認めて、小学校1年生の息子が泣き出した。父親の方は、その様子を最初は余裕をもって見つめていたが、ついには激怒して、「できるかできないか、なぜやってみてから言わないんだ!」と、息子をポカリとやったのである。予想外の展開に息子は激しく泣き出して、「おとうさんは、ぼくはおとうさんの宝だって言ったじゃないか!あれは、うそじゃないか!」とわめいた。

さて、この場面を見ていた彼の妻、つまり息子の母親は、パニックに陥ってしまった。そして亭主にこう言った。「子供はバカでもいい。元気でやさしい子ならいいって言ったじゃないの。勉強ができる子がいいなら、私だってもっと考えたのに。バカでもいいって言ったから、本当にそうかと思っていたのよ。私もバカだし‥」と、なんだかわけのわからない騒ぎになってしまったのである。

そんな事件があったにもかかわらず、彼らは早期教育反対の姿勢をくずさなかった。そして、いつの間にか我が家から足が遠のくようになっていった。

● 子供を放っておく親が子供に挫折感を与える

あれから3年がたった。私の息子が小学校の1年生になった。先日、「大学生って何歳になるとなるんですか」と訊かれたとき、「18歳よ。あと何年?」と瞬間的に訊いてみたのは、3年前のその親子の会話を思い出したからだった。
「6×2=12(ロク・ニ・ジュウニ)12年」というのが、息子の答えだった。

私は青くなって、「答えがあっていればいいってもんじゃないのよ。どうして6×2なの?」と少々きつい口調で詰めよった。私の場合、一所懸命に早教育をしてきたので、多少のきつい口調は許されていいと思っている。何もしていないでポカリとやった、例の父親とは一緒にしてほしくない。

「18は6の3倍でしょ?僕は6の1倍でしょ?だから、6カケル2」と息子は言った。「ハハーン。‥そうだよね、それでいい」と、私は言った。おそらく小学校の文章題ではバツをもらってくるだろうが(小学校1年生はかけ算は習わない)考え方自体はすばらしいとやっと私は理解できた。息子に弁解する語彙力があればこそである。

この息子は幼稚園の年長になる前に、こんなことを言ったことがある。ある日の朝食時に、私は言葉を教えようとして、タテ・ヨコ4つに切れ目を入れたオレンジを山盛りにお皿に出しながら、「これは4分の1。4つに分けたうちのひとつだから4分の1」と説明して、紙に『四分の一』と、漢字で書いてみせた。息子はある程度の漢字を読み、意味を理解できたからである。

息子はその時、しばらく考えて、「それじゃあ、4分の4っていうのは、1のことですか?」と訊いてきた。くり返すが、これは年長になる直前の3月のことである。

ここでも、私はやはりひとりホクソ笑んで、亭主に報告し、夜はふたりでおいしいお酒を飲んだだけだった。今思えば、理数系のセンスのかけらでも私にあれば、さらに一言、息子に何か知の扉を開いてやれるような一言が言えただろうに‥。

それはそうと、また、これが実にいいタイミングなのだが、3年ぶりで例の父親がひょっこり我が家にあらわれた。そして、単語カードを次々にめくりながら、漢字を子供に読ませている私を見て、「すごいなあ。親が違うもんなあ。子供の教育に対する姿勢が全然違うからなあ」とつぶやいたのである。

「あれっ?」と私は首をかしげた。「ずいぶん勢いが違うじゃない?そんな気弱なセリフをあなたから聞こうとは思わなかったわ」と、私は言った。
「しかしなあ‥。クラスでひとりだけ九九もおぼつかないなんて言われちゃうとなあ」と、彼は言った。

私は、結論を急ぐつもりはない。ただ、私はこんなことを思っている。
“子供に働くことを教えない親は、子供をどろぼうに仕立てているようなものだ”という言葉をきいたことがあるけれども、“幼児期の子供を放っておく親は、子供に挫折感を与えようとしているようなものだ”


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