●「遊び」と「生活力」が子どもの成長を加速する
私どもの教室の最大の特徴は合宿教育です。年少も年長もひっくるめて七日間、徹底して家や教室ではできない遊びや生活を体験させます。むろん親抜きです。例えば、きのこ狩り、虫取り、川遊びとかです。勉強は毎日午前中の一・五時間だけ。この時期までに、まだ授業内容がよく理解できていない子やこの時期から始める子には、この一週間の連続勉強によってほとんど理解できるようになります。
この合宿がスタートしたのは二五年前です。私たち教師も子どもたちと一緒に泥だらけになって遊びます。集団生活だから、子どもたちには掃除、雑巾がけもやってもらいます。
食事については、とくに気をつけていて、料亭の板前さんにきてもらい、ダシの取り方一つにしても「一流の味」を体験させます。最高に美味しい家庭料理を食べさせることによって、子どもの好き嫌いがなくなります。食事のマナーも身につくし、みんなで食べることの楽しさやいろんなことを一週間の生活の中で学びます。
もう一つ、合宿の効果として見逃せないのが友達関係に幅ができることです。この合宿には年中の場合、だいたい九割以上が参加しますが、合宿が終わった後、面白い現象が起きます。友達関係が変わるのです。
なぜ変わるかというと、今まで教室という閉鎖された空間の中でできる友だちというのは、ある意味では表面的な仲良し関係です。今までは勉強ができる子が友達というケースが多かったのです。子どもの世界では何かができる子というのが基準になりますから。それが合宿に参加して最初の二日間ぐらいで合宿に慣れて、その場所が自分の家になるわけです。
そうすると、遊びが上手な子とか生活力が旺盛な子がみんなの注目を集めるようになります。そこで初めて幼稚園や家の中でできる友人関係とは違う関係ができるのです。幼児期にいろいろなタイプのお友達ができると本人に幅がつきます。
泣き出す子どもは三〇人中二、三人ぐらいいます。夜中にホームシックで我慢している子がいる場合、無視したほうがいい場合とちょっと添い寝してあげる場合があります。余談ですが、この合宿によっておねしょは完璧に治ります。二五年間、毎年子どもを合宿に連れて行きますから、治し方のノウハウをもっています。簡単にいうと、夜中に時間を決めて、寝室から離れたトイレに行かせます。これを一晩に何回も徹底してやると一週間で治ります。教師はたいへんですが・・・・。
合宿は必修ではありません。また、小学校受験対策というよりも、もっと先のことを考えてこの合宿をやっています。もっとも、近年、小学校受験が生活力や行動観察に非常に比重を高くしていることを考えると、この合宿は必須の対策といっていいかもしれません。小学校の先生方と食事したときに聞いたことですが、どの私立小学校でも合宿が多いのです。暁星あたりはお泊まりができない子どもはとりません。よく面接できかれることです。
合宿というと、スパルタで洗脳していくタイプの合宿のように思えますが、うちではいっさいそういうことはしません。つまり、平たく言ってしまうと、「遊び」と「生活力をつける」ためです。これで子どもは確実に成長します。
●併願校オール合格の子はどんな子か
小学校側はどんな基準で合否を決めるかというと、ほとんどの学校では、まず、ある程度の知能レベルを確認できるようなテストがあります。つまりIQを判定するようなペーパーであるとか個別テストのようなものです。まずこういうテストで子どもの能力を見ます。
その学校の伝統として優秀な生徒をとり続けてきたとすれば、ペーパーなど、知能テストが一つのモノサシになりますが、最近はそれだけでは合格しません。
社会性があるかどうか、健全な肉体をもっているかどうか、親がかりで生きているかどうか、自分のことは自分でやれるのか、こういった部分を重視する傾向にあります。ペーパーでいい点をとれば合格できるという時代ではありません。それだけハードルが高くなったということです。
ただ、こういう現実があることも知っておいてください。受験した学校はすべて合格する子どもがいます。乱暴な言い方ですが、どの学校も受かるという子どもは、プロテスタントであろうとカソリックであろうと、あるいは男女共学だろうと、そんなことには関係なく、どの学校もほしいのです。
どういう子かと言うと、要するに、バランスがとれている子ということです。具体的に、ここがすぐれているとは言いにくいのですが、そういう子どもは一〇分ぐらい話したり遊んだりすればすぐわかります。最近、ペーパーを使わない学校が増えているのはまさにそれを実践しているからです。
一〇人の子どもを目の前にして「ちょっとみんなでゲームをしようね」と遊んだり話したりすれば、確実にいい子を一人選べます。ベテランの先生であればすぐ見抜きます。
●不得意なものは平均値でいい
合格させる親というのは、自分の子どもを客観的に見ることができる親です。つまり感情的にならない。常に一歩引いて自分の子どもを他人の子どもと比較できる目をもった親です。
客観的に見れば、自分の子どもには何が足りないかがわかります。仮に、能力の低い部分があったとします。そこをどうしたらいいかというと、一〇〇パーセント解決しようとは思わないことです。平均値まで上げてよしとするのです。不得意なものは平均値まで、得意なものはより伸ばすというやり方です。
家庭でもそうしてくださいと申し上げているんですが、この考え方が理解できる親は子どもを合格させます。つまり、走るのが早い子どももいれば遅い子どもいます。走るのが早い子どもはもっと訓練すればオリンピックに出れるようになるかもしれない。しかし、走るのが遅い子どもは平均でいいのです。その子どもは、走るのは遅いけれど絵の才能があるかもしれないのです。そういう子の場合、絵をもっと楽しませて育てて行こうというのが私の考え方です。
わが子に一〇〇パーセントを望んではいけないのです。子どもは苦しむだけです。問題は、自分の子どもは何が、どう弱いのか、ここを見つけることですが、これがむずかしいのです。わが子であればどうしても感情が入りますから。過大な期待もします。正直申し上げれば、自分の子どものことは親にはなかなかわからないものです。
そうすると、他人に判断してもらわなければいけないのですが、そのときに模擬テストだけでその子の得手不得手を判断してはだめです。模擬テストの結果につけ加えて、教師の目が必要です。
その日の体調のよし悪し、気分が乗っているとき乗らないとき、あるいは不得手のジャンルがわかったとしても、では興味をもたせるにはどうしたらいいか、ということはデータではわかりません。
これは教師の目で見て判断しなければいけないのです。今お子さんは調子が悪いですよと親に逐一知らせるのがいいのかどうか、この見極めが教師には必要です。すべてを親に知らせる必要はありません。無用の心配をかけることもありますから。
したがって、子どもの資質や能力を伸ばすには教師の質が大切になるのですが、幼児教室の教師が本物になるには、生え抜きで七年から一〇年かかります。二年や三年のキャリアではむずかしいのです。いろんな教室を渡り歩く教師も無理でしょうね。