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麹町慶進会 島村美輝さん


第5回


●幼児教育の基本はメジャーリーグのコーチと同じ

ご両親がお子さんを連れて教室にいらっしゃったときに、どういう家庭か、どういう子どもさんかは、ご両親にお会いすればだいたいのところはわかります。その上で、ご両親、お子さんに合わせた方法でご指導します。

子どもの資質なり能力をどう引っ張り上げられるか、そこが幼児教室の腕の見せ所です。野球でもサッカーでも、日本のコーチはなぜだめと言われたかというと、選手の個性や長所を伸ばすことを考えないで同じような人間をつくろうとしたからです。サッカーのようにポジションによって役割が違うもの、野球のような集団ゲームの場合は適性があって初めてポジションが決定します。それと同じことを見極めるわけです。

メジャーリーグがすごいと思うのは、いちいち教えるわけではなくて、教えるのは基本だけ、それも選手のほうから聞いてきたら教えるという姿勢に徹していることです。ある意味では幼児教育の業界も一緒で、まさにそれと同じことが必要なのです。私はこの仕事を始めた最初の三年ぐらいは何と変な業界だと思っていました。自分たちの考えの中に子どもをあてはめることばかりをやっているように思えたからです。

そうではなくて、子どもにとって最良の道、少なくても小学校六年間、その学校に行って気持ちよく学んだり生活できる学校を選んであげることが幼児教室の仕事なのです。それにまったく相反することをやっても何の意味もありません。子どもにとって人間性を台なしにしてまで受験をさせてはいけません。

絵が嫌いな子どもと好きな子どもがいます。好きな子どもは材料を与えればどんどん絵を描きます。嫌いな子どもは、なぜ嫌いかというと面白くないからです。だから私たちは面白さを教えるわけです。これは強制的に描かせることとは全く違います。「全部色を塗らないと受からないんだよ」と言う人がいますが、そんなことはありません。そんな教師は半人前です。

絵を描くことにはこんな楽しさがある、面白さがあると子どもの目を開かせることが教育だと思うのです。そうすれば、子どもがもっている真の能力を殺したり、もしくはその後の人生をねじ曲げるようなことにはなりません。ただ、絵の楽しさを見つけさせてあげるだけなのです。

自由製作もあり指示製作みたいなものもありますが、私たちとしては、とりあえず両方一緒に教育して、弱いほうを平均値まで引き上げて、良いものはもっと伸ばして行くという方法をとります。そうすれば、バランスのとれた、学校側から見て魅力ある子どもに育ちます。非常に簡単なことです。

ところが「白百合に入れたいから白百合型の子どもにしてください」などというご両親がおられます。実際に白百合に行って校庭で遊んでいる子どもたちを見たらわかります。いろいろなタイプの子どもがいます。おとなしい子ども、元気な子ども、活発な子ども、いじわるな子ども、やさしい子ども・・・・。

なぜ、いろいろなタイプの子どもたちが合格しているのか。学校の先生はいろいろなタイプの子どもがほしいのです。それでは試験などやらなければいいということになりますが、最低、成績はこれ以上でないと、学校の勉強についていけなくて気の毒だからです。私立は選ばれた子どもたちばかりですから公立よりも大変なのです

学校は一定のレベルに達していれば、いろいろなタイプの子どもがほしいのです。それが学校の先生の本音です。それなのに幼児教室やお母様方がこの学校はこうあるはずだと決めてしまって、そのように仕上げてしまったら、その子どもの人生を潰しているようなものです。私どもが学校別テスト、学校別クラスを設定しない理由はそこにあります。

●砂場で遊べない子はどの学校にも入れない
 
家庭で真っ先に行ってほしいのは、一人で生きていく力をつけさせることです。親がいなくなっても一人で生きていく力をつけさせるというと、何やら大袈裟ですが、ともかく着ること、寝ること、体を洗うこと、食べること、すべてにわたって一人で何でもできるように小さいころから(二歳)習慣づけてください。

歩くことも大切です。例えば自分の家から近い公園よりももう一つ遠い公園に行ったほうがいいのです。なぜ近くよりも遠くの公園のほうがいいかというと、もちろん脚力がつくこともありますが、それよりも子どもの心に与える刺激が違うのです。道端に咲いている花も違うでしょうし、人や車の通行量も違う、商店の店構えも、店頭に並んでいる商品もみんな違う。それが子どもにいろいろな刺激を与えるのです。

近くよりも遠くという考え方は、子どもの視野が広がるという意味合いもあります。砂場で遊ばせるよりも砂浜で遊ばせたほうがいいのです。公園の砂場と海辺では視野がまったく違います。

余談ですが、立教の試験に、シーソーにコップが置いてあって、そこに砂を入れ替えて遊ぶという問題がありました。生徒から聞いた話では「僕らのグループには砂に触れない子が二人いたよ」というのです。砂を触れないのです。砂場には犬の糞が落ちていることがあるから汚いといってお母さんが触らせなかったのかもしれません。しかし、そんなことで病気になるようなことはありません。砂場は汚いからだめよという母親では困るのです。お手洗いでもきれいなところしか行けない母親が多いのです。だから子どももそうなってしまうのです。

今は「知的貧富の差」があまりにも大きすぎます。マニュアルではなく、自分の考えで判断し、失敗したら他人のアドバイスを聞き入れることで伸びて行ければよいのですが、あまりにもベースが低すぎます。

国立小の受験問題で、大きな石を引っ繰り返したらどんな虫が出てきますかという問題が出されたことがあります。盲点をついた見事な問題です。図鑑でも学べるけれど、これがゲジゲジ、これが玉虫とは体験なしではわかりません。国立附属小では、そういう育て方をされた子どもがほしいということです。


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