「願書の書き方講座」にお寄せいただく文案を拝見すると、「志望理由」を誤解している方が少なくないようです。「志望校の教育方針の理解とわが家の教育方針の一致」というパターンがけっこう多いのです。その典型的なサンプルが下記です。
(志望理由)
「新奇に走らず、旧習にとらわれず、教育の基礎としての人間の育成」という御校の教育理念に深く感銘いたしました。とくに科長先生のお話の中にも出てくる「自分の目で確かめ、自分の頭で考える自発的、創造的な学習態度を重んじ」という指導方針は、幼児期の学習は体験が大事というわが家の教育方針とも合致しており、ぜひとも御校で学ばせたく志願いたしました。
一読して、なんと空々しい志望理由と感じませんか? この志望理由は、ある学校のホームページを見ながら3〜4分(正確に計ったわけではありませんが、入力に必要な時間と同じです)でつくりました。カギかっこ内の文章は志望校のホームページからの引用です。試験官がみれば、うちのホームページのつまみ食いだとすぐわかります。
もし、この願書を書いたのが父親だとすれば、志望校の教育方針は△△△△、わが家の教育方針の◇◇◇と一致しているから志願した‥‥と奥さんの言うままに書いたに違いないと想像するかもしれません。この志望理由のどこがいけないかというと、「幼児期の学習は体験が大事」というだけで、どんな考え方で子どもを育ててきたかが抽象的過ぎます。それに何としてでも本校で学ばせたいという熱意が読み手に伝わってこないのです。「志望校の教育方針の理解とわが家の教育方針との一致」という図式にとらわれすぎたことが原因です。
市販図書にも同じようなパターンの「文例」がサンプルとして紹介されているかもしれません。でも、「志望校の教育方針の理解とわが家の教育方針との一致」という図式で志望理由を書くのはあまり賢明とはいえません。というのは、そもそも志願者が「志望校の教育方針を理解している」かどうかは学校側が判断することであって、志願者が「共感」「感銘」「感動した」と力説するものではないのです。
自分の学校の教育理念や指導方針に「共感した」と書かれて喜ぶと思いますか? この厳しい時代、長年守り続けてきた教育方針、そして新しい時代にマッチングした指導方針をつくるには並大抵の苦労ではなかったはずです。そう簡単に「共感」されても複雑な心境だと思います。面と向かって「感銘を受けました」と言われたら、フツーの神経だったら逃げ出したくなると思います。中には、建学の精神や教育方針を得々と「解説」してしまう人もいます。校長先生方は人間的に温厚な方ばかりですから、穏やかに「解説」を聞いていますが、内心、うんざりしていると思います。
学校が知りたいことは、どんな考え方や方針の下に子どもを育ててきたかの一点です。両親の考え方や方針が志望校の教育方針に合っているかどうかは、学校が判断すればいいことです。この点を間違えないようにしてください。
むろん、志望校の教育方針は知らなくてもいいということではありません。志望校がどんな方針で子どもを教育しようとしているか、それくらいはわかった上で応募するのは当たり前であって、あえて書かなくてもいいということです。どうしても書きたいのであれば、「これこれの考え方で育ててきたので、御校を志願しました」くらいにとどめたほうがいいでしょう。
たぶん、多くの願書が「志望校の教育方針の理解とわが家の教育方針の一致」を強調すると思います。何十枚何百枚もこのパターンが続く中で、わが家の子育てや教育方針を中心に書かれた願書があれば、試験官の関心を引く願書になると思います。これがパターン化された願書は避けたほうがいいというもう一つの理由です。